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死をテーマにした(幼稚な)作文

然ですが、死をテーマにした作文を書こうと、チャレンジしています。

理由としては、ある日の今日のダーリンを読んだから。基本ミーハーなんですねえ。

真顔でじぶんや他人の「死」について語れたら、それは彼が何歳であっても、大人だという気がする。

さて、気を取り直して。

ぼくは死についての意識が低いと思います。今風に言えば「死リテラシー」が低い、でしょうか。(なんだか「死」って、そいういったおちゃらけた造語を作るのがはばかられますね。)

というのも、今までの人生において、身近な死を経験したことがないからです。自分が事故で死にそうな目にあったとか、自殺を本気で考えたとかないし、身近な家族、友達が亡くなったという経験もありません。

そんな中で、死を考えます。ビギナーはビギナーなりに、死について。

自分が死ぬというのは、自分がこの世からいなくなるということ。僕のイメージでは、死は無です。なにもない状態。例えば、夢を見ずに熟睡しているときのように。つまり、こうやってあーだこーだ考えている意識が途切れるということです。

自分が死んで、意識がなくなっても、世界は変わらず回り続けるますが、僕はそれを知ることはできません。なんとも不思議な感じがします。

・・・

あー、ダメですね。つまらない。当たり前すぎて、別にこんなところに書き付けて、世の中に発信する意味なんかないとか、もう止めちゃいたい気分になってきました。が、そこはこらえて。。

なんでしょう。死について考えようと思っても、気が散ってしまい、真剣に考えられないことに気づきます。わからないし、考えたってしょーがないと思ってしまう。例えば、誰か身近な人が亡くなることを想像してみる。もー、リアリティがなさ過ぎて、想像つかない、だんだんバカらしくなってきます。

バカらしくなってきて、思考は脱線です。ひとつ前に書いたブログのことを思い出します。(やはり意識が向くのは自分に興味のあることなんでしょうか。。)

え、頭の中には自分がふたり。「奥の人」と「手前の人」って、いますよね?

(まず、上の記事を読んでいただき)今こうやって考えている自分=手前の人ってのは、いくら考えてもわからなくて、本当の自分=奥の人が、死を感じないことには、なに一つわからないのでは、という気がしてきました。

つまり、経験していないことはわからないという、簡単な道理です。

うん、やっぱりそうだ。手前のキミよ、悪いけど君のことはもう当てにしない方が良さそうだ。

と、これが死について考えてみた結果でした。等身大です。(もし読んでくれた人がいたなら、申し訳ないような文章ですね、スミマセン。。)

そして、ぼくは「手前の人」のことを、またも悪く言ってしまった。でも、こうやって考えているうちに「手前の人」の無限の可能性に気づきました。そのお話は、また別の機会に。


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