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ライナーノーツって「コレいーよ!」じゃだめなのか

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CD にはライナーノーツ (文字だらけでそのアーティストを回りくどくも賞賛しているアレ) というものが入ってる。

それにしてもライナーノーツって、なんでこうも大袈裟で凝ってて回りくどい文章なんだろうか。

いや別に文句が言いたいわけじゃなくて、いいライナーノーツを読むとそれだけでテンションがあがるし、筆者のそのアーティストに対する想いが伝わって作品に彩りを与えたりもするし、実際にライナーノーツに登場するアーティストを辿って音楽を発掘したりもした。

とはいえ、大袈裟に誇張された文章、というか簡単に言うと回りくどくてわかりづらい(モノもあり)なんか違和感を感じてしまうことがある。

その違和感のでどころはなんだろうと考えると、そもそも音楽って感覚で感じるものだから、文章をこねくり回さなくても「これすっげーかっこいいよ!」でつたわるべき(伝わって欲しい)ということなんだと思う。

なんで「これすっげーカッコいい」で伝わらないんだろうか。
そんなん当たり前といってしまえば、身も蓋もないのだけど。

例えば、実際に音楽を作ってる人だと説得力があるわけで…、じゃあ全てのライナーノーツをミュージシャンが書いたらいいかというと、そうでもなくて…。
たとえばある程度有名な評論家の人ならば、文章をこねくり回さなくても「コレいーよ!」で済ませられるのかというと、そうでもないわけで…。

なんというか、説得力の出どころの問題。

ライナーノーツの場合、これだけ丁寧に凝った文章を書くほどこの音楽を愛していますよー、
というのが説得力のでどころですよね。

となると、例えば、お堅いクラッシックの指揮者さんが頭グルングルン、足をガクガクさせて踊ってるとか、チョー頑固そうな寿司屋のオヤジさんが笑顔で「うまいよ、コレ」って言ってるとか、自分のライバルを褒めるスポーツ選手とか、すごい説得力じゃないか。

だからなんだって話だけど、要は自分が「好きなものを好きだ!」と表現したいときに、表現するすべを持っていないのがくやしい、と。そうゆうことなんだろう。
そんなオチか。


こないだレンタルした U2 のライナーノーツに、妙にテンションが上がってこんなことを思った。 U2 みたいな歴史のあるでっかいバンドのライナーノーツは鳥肌ものですねー。


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