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これは…詩、なのか?

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「詩」とはなにか?

ということに興味があります。

小学校の国語で、教科書に載っている詩を読みました。
小学校の時の理科の先生は、ペンネーム(確か「やまかわはじめ」)を名乗り、独自の詩集を作っており、ぼくは何かしらの班別対抗に勝って、その詩集をゲットしました。
歌謡曲で歌われているのは詩です。
自分で詩を書いて、ギターを弾いて歌ったこともあります。

身近にある詩。それまでは意識していませんでしたが、ほぼ日でこの対談を読んでから、「詩」ってなんだろう?って思うようになりました。

先日、ある方と飲みました。
2時間足らずでしたが、あっという間に時間が流れました。
言葉が言葉を呼び、化学反応してまた降ってくるような刺激的な時間でした。

時を忘れて話していると、終電ぎりぎり。
あわてて走って最終電車になんとか乗り、その後電車の中で一心不乱にiPhoneに書き付けました。
その間、約30分。
Facebookにふたつ投稿しました。

僕はこれを「殴り書き」だと思っていましたが、これは「詩」だと。

セルフデザイン。
ジョブスのデザインは、こう呼んでみる。
自分を吐き出すのがアート。
向ける対象はいない。
しかし、人を見ずに自分を見る。
と言うよりは、自分をユーザーとして見る。
これをセルフデザインと呼んでみよう。
ジョブスのはアートではない。
アートは受けてがどう思うかは考えない。
ただ自分の中のパワーを外に吐き出すだけ。
それはポジティブでもネガティブでもどちらでもいい。
ただ遠くを見据えて放つ。
パワーがでかいほど表出するエネルギーがでかい。
それが、他人に受け入れられるか、感動を産むかは別の問題。
ただパワーの表出は世界に残る。
死んでから評価されることもある。

デザインはセルフデザインにしても、どれだけの理想を描けるか。
どんな世界を自分が求めているか。
遠くを、どれだけの遠くに光を見出せるかでエネルギーの量は変わる。
光が見える方向はみんなが同じ方向を向いているとは限らない。
デザインの場合多くの人が向いている方向に近い方が世の中へのインパクトは大きい。
人が人である以上、同じ生物である以上、もしかしたらすべての人は同じ方向に光を見つけるのかもしれない。
ただ、大多数の人は、まだ光を見つけていない。
気づいていない人、そんなことさえしらずに、目の前を必死に生きている人。自ら目を閉ざしてる人だってたくさんいる。
もっとみんな、自分とつながった方がいい。
自分の心の深いところと。

自分を知ること。
自分が生きて行きたい世界を具体的に描くこと。
自分が充実していると感じることができるのは、光の指す方向にゆっくりでもいい、進んでいる時。
光がおぼろげに見えている、見えていないとでは、希望が違う。
希望は生きて行く上での栄養。
見つけるんだ自分の闇の中にある光を。

闇の中で生きて、もがいている人ほど、光は見えやすいのかもしれない。
もがきながら、それでもなんとかしたいと思える力、それを持てた人間はラッキーだ。
それは偶然なのか、生まれながらにして持ち合わせたものなのか。
それを持たずに死んでいく人もいる。
生きる力?
これは自分への愛なのか?
愛はどうしたら生まれる?
受け取った愛の大きさから?

ロックスターは、無償の愛を惜しげも無くステージから放つ存在なのか?
どこまでも純粋な快楽を求めるだけの、ただの人間様なのか?

つながろう。=自分と
救われた。
投げかける。
受け止める。
広がって拡散して、降り注ぐ。
連鎖して化学反応を起こして、さらに増殖する。
こういうことなんだ。

伝わらないもどかしさ、反射して朽ち果てる。
届かない、理解されない、跳ね返って矢のように突き刺さる。
これは辛いこと。

わかってもらえると。うれしいね。

これが「詩」なのかよくわかりません。

でも「詩」は好きです。

これからたまに「詩みたいなもの」をつぶやくことにします。
そんな時はなんかポエム的なことを言っているなあ〜。とあたたかく見守っていただければ幸いです。


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