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「文章の甘さは、推敲の甘さ。」ものづくりの精度は鍛えることで研ぎ澄まされる。

『文章の甘さは、推敲の甘さ。』ってことだと思うんです。これは、自分が書いた原稿を、あるとき改めて見返したときに感じたことです。思えば、その原稿は急ぎ足で書いたと記憶していました。

だから『鍛える』。

まず大枠を書く。各パーツを前後させながら流れを決める。肉付けをしながら書いていく。そして読み返すと、必ず不自然で気になるところが見つかる。そのささくれを一つずつ取り除いていく。刀を鍛えるように、熱しては叩く。叩く。叩いて鍛える。

ものづくりには、そんな「鍛える」という行程が必要なのではないかと、最近感じます。ものづくりの下流行程、細部を詰めていく段階をどこまで突き詰めることができるかで、完成品のクオリティーが左右される。繰り返していくことで、精度が上がる。

宮崎駿監督の「めんどくさい」や、タランティーノ監督の、「because we love making movies」もそういうことかと。

熟練と精度

では、熟練者は、一気に作ってもいいものが作れるようになるのでしょうか?

僕なんかは、物書きにせよ、デザインにせよ、楽曲制作にせよ、どれも熟練したというレベルにはありませんが、と前置きしておいて、それでも数年間続けて多少はうまくなっていると思います。それでも、どれだけ熟練しても、ある種の「鍛える」という行程は必要なのだと思います。

それこそ、つくりたいものの性質にはよると思いますが、例えば、先が見えない状態で、誰も見たことのないものを作ろうとしている場合、その重要性というのは高いのでは。

もう一つ例を挙げるとしたら、写真です。似たようなカットを何枚か撮り、その似たような写真を見比べてベストな一枚を選ぶことが「鍛える」ことと近いように思います。

「鍛える」行程をまったくせずに、素晴らしいものを生みだし続けられる人、そんな人は天才的ななにかを感じます。あ、そう、草間彌生さんのまったく手を止めずに巨大な絵を描くような。


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